2006年07月18日

争いを避けるために

最近、日本の周辺は何かとかまびすしいですね。それに伴って過激な意見もよく聞くようになりました。

島の領有権をめぐる争いに関しては、歴史的背景なども知らないのでどうすれば一番いいのか私にはよく分からないですが、ただ願うのは、島の取り合いをするさなか、誰も犠牲者が出てほしくないということだけです。

例えば、相続をめぐって遺族が争うというのもよくあることですが、争いがエスカレートしてそれぞれの家族が刃物を持ち出し互いに重傷を負わせたり命を落とすようなことになれば、取り合いをするだけの価値があったとは言えないでしょう。また、武器には武器をもって対抗するというのも得策ではないと思います。それは武器商人をもうけさせるだけでしょう。聖書にはこんな言葉が記されています。
その時イエスは彼に言った,「剣をもとの所に納めなさい。すべて剣を取る者は剣で死ぬからだ。(電網聖書

そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。(新共同訳聖書
 仲の悪い隣人が護身用のピストルやナイフを持っているから うちも持とうという考えで、安心感が増すかというと、かえって逆ではないでしょうか。お互いが相手にやられる前にこちらがやろうとするので危険が増すだけですよね。実際、どの家庭でも銃を所持しているアメリカのほうが銃がらみの犯罪や事故が多いですし…。

できることなら、一斉に世界中から武器が消えてくれれば平和になるのにね。そうすれば破壊活動のために費やしている多額の軍事費を福祉に回して、不幸な人が減るのに…。

人がいれば、そこには必ず利害の対立や意見の相違があるのは当たり前ですが、人類はそろそろ、力ずくで相手をねじ伏せるやり方を卒業してもいいのではないでしょうか。

松下幸之助【一日一話】の7月17日分にはこんなことが書かれていました。
自他相愛の精神

 個人と個人との争い、国と国との争いは、相手を傷つけ、さらには社会全体、世界全体を混乱させる。そういう争いの大きな原因は、自他相愛の精神というか、自分を愛するように他人を愛し、自国を愛するように他国を愛する精神の欠如によるものであろう。

 そういう精神の大切さは昔からいろいろな教えによって説かれていながら、いまだに争い事が絶えないのは、人びとが、このことの大切さを真に悟っておらず、その精神に徹していないからだと思う。

 争いはみずからをも傷つけるということを身をもって知り、人類に平和をもたらすために力を合わせていくことが肝要である。

自分個人の利益ばかりを考えている人は、のけ者にされて他の人と良好な関係を持てないように、国も自国の利益ばかりを追求していてはいけないのでしょう。関西学院大学の山中速人教授と辛淑玉(しん すご)さんとの対談にこんな言葉が載っていました。
一言でいうと「国家の国民という意識」と「世界市民という意識」がぶつかっていると僕は思いました。あんまり単純にそういっちゃいけないんだけれども、例えば「国家国民という意識」というのは、自分が属している国家の国民だという意識ですよね。ナショナリズムといってもかまわないな。そういう意識というのは伝統的にあって世界というのは国家によって分割されているから、人間はそこから逃れることはできないから、運命共同体の一員としてそれを引き受ける。それは義務だと考えるわけだな。こういう価値観にたつと、いろんな国際的な領域の問題に取り組むときでも、「自分がどっかの国の国民だから、その利益を考えつつ取り組む」という・・・

一方それに対して「世界市民」とう考え方もあるんだなあ。昔は国際主義なんていいましたけどね。いまは、そんなことはいわない。特に地球環境問題とか、人権問題とか、それからサーズとかエイズなんかに関わるような健康や保険の分野に関心が高まっていく中で、国家の枠は越えて地球レベルの問題解決をしないといけないんだ。人命とか、健康とか、人権といったようなものが大切だと考える人たちもいるわけでしょう。例えば、この間のサーズの事件のときに中国が「WHOに加入するのは自分たちだけだから台湾に情報をやるな」といって世界的に叩かれたよね。ああいうときに「許せない」という意識は、やっぱり「自分が世界市民だ」という意識がどこか、かかっている。だから許せないと。

どこかの世界は、国家によって分割させられているわけだから、地球市民としての意識をもっていても、どっかの国民であるという尻尾はもってるし、逆に「俺はどっかの、例えば日本国民だ。国益のみ生きる」といったって、実はサーズにかからないというわけではない。だからサーズのことを考えるときは、日本のことだけ考えないで中国や台湾のことも考えないといけない、となってくるから、地球市民であるということからは逃れられないわけだな。そうすると、このふたつを、どう生きるかということだと思う。実は、こういう問題は、教育はきちっと教えているわけです。

実は、僕は高等学校の倫理社会の教科書の執筆者でもあるんですが、その中で今日持ってきたのは「高等学校学習指導要領解説」。文部省が出した本で、教科書を書く人は必ず読んで、準拠して書きなさいというガイドラインなんだけれども。

そこには、「今日の世界が交通通信手段の発達によって相対的に近くなったことについての理解にたって、日本人としての自覚を持つと共に国家や民族の違いを超えて人類愛や社会的連帯感に基づいて行動し奉仕する態度を育てる」と書いてある。
自分の国のことだけを考えるのでなく、「世界市民」「地球市民」であるという意識を持って行動すること、力ではなく、互いの立場を理解しようという意図をもって話し合うことが紛争を避ける上で欠かせない要素なのかもしれませんね。

アメリカでは犯罪者を説得するネゴシエーター(交渉人)という人がいるようですが、そうした無謀な人をも説得する術(すべ)を政治家の方々には特に身につけていただけたらいいなと思います。簡単なことではないですが…。
posted by 野バラ at 06:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 戦争
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